33期生 山内 絢子
今こうして高校生活を思い出しながら文字にしていくといろいろなことが鮮明に蘇ってきます。全てがいい思い出として残っているわけではありません。しかし、楽しかったことも辛く苦しかったことも今では全てが交野高校で過ごしたかけがえのない思い出です。
この1年間はあっという間に過ぎていきました。その中でも文化祭は最高の思い出になりました。学校の舞台に立ったこともない、まして演技なんてしたこともない劇にアナウンサー役として出演したのです。出番を待っている間、緊張して何度体育館から逃げ出そうと思ったかわかりませんが、舞台に上がると客席には親や友だちや先輩方がいて、みんなが笑顔で私に手を振ってくれていました。嬉しさと安心感で緊張は和らぎ、落着いて演じることができました。
最初はクラスの集まりが悪く、正直どうなることかと思いましたが、本番が迫ってくるにつれてみんなの演技する顔が真剣になっていきました。大道具、小道具、照明、音声、キャストのみんなで何度も相談し、練習してむかえた本番はそれまでで最高の出来でした。終わった後のみんなの達成感で満ちた笑顔は今でも目に焼きついています。
行事が次々と終わって最初は穏やかだった教室の空気もだんだんと受験に向けて慌しくなっていきました。10月末になると指定校推薦の合格発表があり、まだ進路が決まってなかった私は、進路先が決まったクラスの友だちと妙な距離感を感じて焦りが出てきたり、急に寂しくなったり、気持ちが落着くことはありませんでした。
私は精神面からくる疲れが出やすいので周りの人から一般入試まで体がもたないだろうと言われ、自分自身も最終目標を公募推薦入試にしていました。しかし、志望校が公募推薦入試を実施していなかったのです。ここで妥協して第2希望の大学に決めるのか、一般までねばるのか、自分自身との葛藤が続きました。そして悩んだ末、一般入試までねばることに決めました。決心したものの、全く自信がありませんでした。勉強していても、思うようにはかどらず、焦りや不安だけが込み上げてきて何回諦めようとしたかわかりません。しかし、受験と闘っているのは私だけではありませんでした。周りには同じ状況の友だちがたくさんいてお互いに励ましあいながら一緒に闘っていました。
最近まで受験は自分一人の闘いだと思っていました。そんな時ある人に言われました。「確かに受験は最終的には自分ひとりでするものだけど、ここまでくるのに一人でこられたかといったらそうではない。心細くなったら今まで支えになってくれた家族、先生、友だちのことを思い出して感謝しなさい。自信をもって堂々と闘ってきてください。」と。そう言われ振り返ると、私にはいつも私のことを心配してくれる友だちがいました。予備校で帰るのが夜遅なっても体に負担の少ない夜食を作って待っていてくれる家族がいました。受験に向けて勉強面でも精神面でも支えてくれる予備校の先生方がいました。何でも相談にのってくれる学校の先生がいました。ここには書ききれないくらいの人が私の支えになってくれていたのです。誰一人が欠けても受験の辛さに耐えることはできませんでした。そのことに気づくことができただけでも、あのとき妥協せずに最後まで挑戦してきてよかったと思います。
結果、公募推薦入試は合格しました。しかし第1志望校を受験した一般入試は不合格でした。結果としては残念でしたが、全く悔いはありません。受験を通して大切なことをたくさん学ぶことができたし、何より一番自分に欠けていた「自信」をもつことができるようになりました。
私はこの3年間何度も壁にぶつかってきました。正直に言えば、楽しかったことよりも辛かったことの方が多かったかもしれません。何でも一人で問題を抱えてしまう性格の私は、友だちが「いつでも相談してきてや!」と言ってくれても本当に心の奥底にある悩みを素直に言えませんでした。全部自分一人で処理しようとし、時には自分を責め、心も体も疲れきっていました。周りに素直に悩みを打ち明けられないのは決して友だちを信用していないわけではなく、ただ弱いところを見せたくないというつまらない見栄を張っていただけかもしれません。あることで悩んでいたとき、友だちが私に言いました。「絢子がそうやって一人で悩んでいる姿見ているのが辛い。もっとうちらを頼ってほしい。どんなことがあっても、うちらは絢子の味方でおるから孤独なんて感じる必要ないんやで。」そう言われたとき、今まで自分を縛り付けていたものがとれた気がしました。
私の3年間はとても充実したものでした。本当は支えてくれた人、一人一人にお礼を言いたいけれど、できないのでこの場を借りて言います。
本当にありがとうございました。これからもずっとお付き合いよろしく!
これからの長い人生の中の3年間という時間をこの交野高校で出逢えた友だちと共有できたことを幸せに思います。